大好きなジョンのアルバムのタイトルです。
年に何度か何かのタイミングで聞きたくなるアルバム♪
千紗登の日記にもありますが、しばらく音楽活動を休止します。
それも応援したいと思ってます!
さて、先日おいおい教バンドで「教祖と一緒に」という曲のレコーディングをしてきました!
初の4人。
素晴らしい曲です!
是非みんなに聞いて欲しい。
12/16にこの曲が収録されるコンピのレコ発が四ッ谷outbreak!であります☆
老若男女問わず、是非遊びに来て下さいませ(^_^)
世の中には色んな人がいる。
エリート、お嬢様、坊ちゃん、三角関係で悩む人もヒモの人も不倫中の人も浮気中の人も
絶賛引きこもり中だったり、無職の人も、大切な誰かを失ったばかりの人も、
アル中、闘病中、新婚さん、宝くじあたった人も、
街に出れば、みな普通の顔しながら、それぞれの何かを抱えて生きている。
隣の芝生は青く見える。
何ものにも苦しんでない人などいないだろうし、
好きで苦しんでいる人もいないでしょう。
でも笑ったら良いじゃない。
泣いたら良いじゃない。
まぁ、出来たら笑いたい!
貴方が泣いている時に貴方以上に悲しむ人もいるかもしれませんしね(^_^)
是非、教祖に受け止めてもらってください!!!!
そんな名曲(?)をレコーディングしながら思った事。
前の日記にも書きましたが...
正論寒々し、批判悪口大差なし、過剰は欠乏(小池先生の本から引用)
私はあまり頭がよくないので簡単にしかとらえられないけれど、
正論で飯は食えないし、正論で素敵なキスも出来ないよねーって感じです。
答えのない問題、出口のない迷路、放り投げました。
正しい人間なんていないもの。
私もダメダメです。
教祖のすごいところは人間力をとことん信じてるところ。
教祖もダメ人間だけど、その分嘘がない。
今日も教祖とハムハグヘイ!
四ッ谷で待ってますよー♪
『最低で最高な文化フェス』
http://www.hor-outbreak.com/index.html
説教や正論をかざす時の虚栄心。
善悪と嘘にとりつかれた言葉の爆弾。
大切な何かを失ってみてわかること。
それもやっぱり「幸福論」
年内の抱負は
「感情の借金取りにならないようにしたい。」
だって家族だもん。
元気で笑って生きてて下さい。
多分また大きい...↓

『反旗を翻しポッポ』
良かったら呼んでみて下さい(^_^)
人生は、長い!!!!!!!!!!!!!
心はすぐに「嫌だよーッ」と怒ることの電気ショックを浴びたがるぅぅぅーーーッ。
たとえば他人の笑顔も自分を小馬鹿にしているように感じられ、怒りが生じてくるかもしれません。
そうして心が「怒」によって疾走を始めると、思考は次々に、新しいネガティブな思考を連鎖反応のように生じ続けることでしょう。
「こんなの笑顔に腹を立てたせいでイライラして疲れたうえに集中できなくなった、ちぇッ、イライラするなあ」
こうして、新たな「怒2」が連鎖いたします。
この思考の流れをもう少し細かく切り刻み、分析してみましょう。
まず、「笑顔への怒1」→「自分が怒ったことに気づく」→「『怒って疲れてしまい、損をした自分』というイメージで自我を刺激される慢の煩悩」→「損をしたことへの怒2」ということ。
その思考の流れが生じることで、明らかにイライラは増幅し、心身ともに落ち着かなくなっていることでしょう。
その有り様を見つめる習慣がついてきますと、「自分にとって損なことを、何かのプログラムに命令されて
やらされてるような気がする。がッびーん」
という気づきが得られます。
この「がびーッん」というショック付きで「気づく」というのが決定的なポイントです。「はッ」と気づくこと。
DNAとでも表現できるかもしれないものに命令されて、「とにかく暴れなさい」と操られている自分を見つめると、操られるのが馬鹿馬鹿しくなり、自分の感情から距離を置くことができるようになります。捨ッ。
しかし問題は、「DNAに命令されてるだけらしい」と頭で考えた時点ですでに、その「考え」もDNAの命令の範囲内だということ。
そのような見解を得ることができた自分は真理が分かった、という偉そうな「見」の煩悩に安心させられつつ、再び命令に支配される中へとまどろんでゆくというメカニズム。
命令されていることに気づいて脱出しかかったまさにそのときに、「分かったことによって脱出できそうな自分」という喜ばしい幻を見せてくれますから、それによって再び飲み込まれるのです。
したがって、先ほどのフローチャートで「怒2」の続きは、次のようになりましょう。
「命令されて無駄に怒らされていると、ハッと気づく」→「そのことを分かったつもりになる『見』の煩悩」→「『操られている自分』がいる、という『慢』の
煩悩2」→「操られているのは嫌だ、という怒3」→「分かったつもりになりつつ再び命令に屈服してしまったことへの気づき」→「『そっか、分かったつもり
になりなさい、と命令されて屈服してしまったんだ』と、改めて分かったつもりになる『見』の煩悩2」→「屈服した自分のイメージが低下する『慢』の煩悩
3」→「自己イメージ低下に対する怒4」
仏道瞑想において重要なのは、このように「命令されているだけらしい」という思考がわいてきたとしても即座に、「分かったつもりになる思考をしなさい、と命令されてしまったらしい」と気づいて、その思考をも切り離すことです。
瞬間瞬間、「はッ、怒らされてる」「うひッ、考えさせられてる」「はッ、慢心が生じている」「はッ、まただーーッ」と気づくことにより、命令に反旗を翻し自由を目指す道のり。
〆。